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2008年3月

2008年3月31日 (月)

鎌倉鶴岡八幡宮比売神さまお言葉(言霊)

鎌倉鶴岡八幡宮さま拝礼の折りにいただいた比売神(ひめがみ)様お言葉をご披露いたします。占師ひろよです。せんえつながら皆さまの祈願を成り代わり頂戴しました。もったいなくて、うれしくて。桜の木の下で声もなく泣きました。 このお言葉、皆さまの魂にとどきますように願います。

・・・* 高砂の  尾の上の桜   夜の程に 春雨ふりて 花咲きにけり *
人にも知られず己の歩むべき道を歩み続けて来た運はもうすぐもうすぐ開ける。 然し今までの道を決して忘れてはいけない。個性に叶う生活はそう沢山あるものではない。・・・権中納言匡房(73番) 『後拾遺集』

このお言葉の心は、 あなたのこれまでの営為(いとなみ)は神々さまは見ておられる。お陰様(守護霊)を通じて神意は降りる、運は開ける、ということです。 わたしの脳裏に○○さん、××さん、□□さん、**さん、そして・・さん、などのお顔が浮かびます。良かったですね、もちろん、まだまだ私の運は開けていないと懸命になっておられる方も、わかっていますが、その営為を神々さまは見ているとおっしゃられています。

ありがとうございます。こうしてきょうも有難い奇跡(ミラクル)の扉が開く音が聞こえます。感謝です。

・角を曲がるとそこにあるのは、
 あたらしい道 (トールキン)   

わたしの好きな言葉です。ジョン・ロナルド・ルーエル・トールキン(John Ronald Reuel Tolkien 1892年1月3日生~1973年9月2日没)英国の作家、大学教授。

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2008年3月26日 (水)

霊能者の礼は霊に向かって

大こどもミスター「X」でございます。小笠原流礼法宗家の本「弓と礼のこころ」を読みましたら、なんと、食事前に武士は「手を合わせいただきます、というのは、しない」と書いてあります。無作法は武士流儀かもな、なな、な。ははは。ぼくは武家の流れをくんでいるからにゃあ。食前の挨拶はやめよう? で、”母”ひろよにきつい視線を飛ばされました。

あのね、礼儀で、もっと大切なのは、目にはみえない魂レベルの礼節ですよ。ことばや態度を目の前の人に向けるというよりも、目の前の人の守護霊さまに向けて捧げます。捧げるというのは、深くおもうことです。思いを自分の魂から発することです。

目に見えてしない=していない、ではない。霊と霊の礼を通じて交霊という礼の会話が行われている。まいりました。

相手の守護霊さまへの礼は
私の守護霊さまへの礼になって帰ってくる、
それは時間、空間を一瞬に超えて、深く深く、そして守護霊さまつながりの上の上の上の神々さまレベルにとどく。

なるほど、霊能者の礼は、霊に向かって礼をしている。

礼と礼の霊霊交流が行われるので霊視霊鳥霊知などの能力をつかえるのでしょうね。礼抜きの霊現象は、それはいわゆる低級霊のお遊戯、おあそび、からかいなどの可能性が高いのかもしれません。そう感じたら相手にしないことです・・・”母ひろよ”が言っています。相手にしなければ、おもしろくないので去ってゆく。触らぬ邪にたたりなしです。霊験あらかたな霊現象に期待したいなら礼にはじまって礼におわる日々のくらしがあってこそのようですね。  では、また。 

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2008年3月23日 (日)

チベット2 命のルン(風)

日曜日です。”母”ひろよは集中して仕事中ですので大こども「X」のブログ投稿、チベットあれこれを続行いたします。 チベットです、切り裂く悲鳴が聞こえます 息の根を止められたその人がその、瞬間、シウエ オエセル(根源の光明)に導かれ逝かれます 命のルン(風)が止まり 上へ上へ一直線の大きな道を通りダルマ カーヤ(法身 宇宙)を得ます

ぼくの聞こえない左耳になぜか初音ミク詠う「天津祝詞」がはっきり蘇ります。なぜか左の目から頬にこぼれるのは、涙、?  命のルン(風)のひびき、ふるえを。聞いてください。 http://www.youtube.com/watch?v=8tNR734aqKk&feature=related チベットは小国?貧しい国? 外見で印象的にたしかに今はそうかもしれません。でもほんとうは面積もかつては、現在共産チャイナ領土の半分近い大国でした。貴重な鉱物資源も豊富です。まして豊かで綺麗な水源にめぐまれた大高原です。 ここチベットの一部を中国は核開発、核実験場にしました。 パンダはチベットにしか自然棲息していない。パンダはチベットの動物です。チョモランマ(エベレスト)は中国のものではなく、チベットに在るものです。

チベットは世界で一番宇宙に近い大きな国なのです。このチベットをチベット人僧侶など120万人のチベット人を殺し共産中国は手に入れました。現実は力と力の戦いの結果です。むごいけれど。 今、ほとんどのチャイニーズは中国軍の力によるチベット制圧にはしゃいでいます、よろこんでいます。日常のうっぷんを自軍の戦車にたくして勝利感にひたっています。情報統制下の偏ったナショナリズムです。楽しんでいます。悲しいけれど。共産政権への求心力、支持力を高めるにはもってこいのチベット騒乱なのです。

つらい現実です。 母を姉を目の前で殺されたチベットの若者のなかには「殺された家族、先祖の数だけ中国人を殺してから死にたい」と血気にはやる者もおられるようですが、ダライラマ14世はあくまで非暴力主義で共産中国とも話し合いで解決したいとおっしゃっています。 しかし・・・・帰ってくる声は「ダライラマは悪魔」という罵倒です。なぜこんな非礼なことをするのか。答えは簡単です。多くの、ほとんどのチャイニーズ(中国人)がよろこんでくれるからです。人はおしなべて強いものに憧れます。圧倒的に強いものに味方します。これは現実です。

ところで、朝日新聞紙上掲載の川柳     

五輪前どうにも邪魔な生き仏

これは非難覚悟の計算でもいくらなんでも無神経のきわみとおもいます。ダライラマ14世は霊性のきわめて高い霊的存在なのです。さりながら、ひたすら現実界を生きてこられた。インドのマハトマガンジーは哲人で政治家でもありました。ダライラマはあくまで霊的存在です。ですからガンジーと違ってデモ隊の先頭には立たないのです。でも、もしかしてダライラマ14世がチベットに戻られ、デモ隊の先頭に立つと・・・これは何かが変わるかも・・・でも霊性を軽蔑する中国現政権は報道管制の元であっさり処刑、暗殺します、きっと。そのとき、霊性のセンターを失ったチベットは完全崩壊します。中国政権はそのときを待っています。 ぼくにはなにもできない。ぼくは小さすぎる。でもできることはあるかもしれない。命のルン(風)に訊いてみよう。   (では、また)

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2008年3月20日 (木)

チベット

大こども「X」と申します。占師”母”ひろよ了解のブログジャック(?)、今回は投稿ですね。チベットです。まずは、動画、未だご覧になっていない人はどうぞ、YouTnbe・・・。雪のヒマラヤを歩くチベット人を射殺しています。 http://www.youtube.com/watch?v=o1-y6-Rxyvc チャイニーズ(中国人)はなぜこんなことをするのか、どんな理由があるのかわからない。目撃者のことばが極楽トンボのぼく「X」のこころを突きます痛めます。

数日前から、さまざまなヴィジョンが降りて浮かびます。たくさんの坊主頭の人々が集められている絵がみえ、「殺されてゆく」という音声がします。また、大勢の人々が軍隊の戦車に轢かれています(天安門事件のときは一人の青年が戦車の前に立ちましたが、今回は、もっともっと、たくさんの人たちです)。 きょう朝のことです。背後からヒュンヒュンと空気を切り裂く銃弾の音がして、その数発がぼく「X」の背中を撃ち抜きました。傍にいた”母”に「お母さん、ありがとうございます」と礼節正しく生涯の礼を述べて、母ひろよに抱かれて事切れ(息をひきとる)ました。

でも「これ、ここはチベットじゃないのよ! 戻ってきなさい! ここは佐助なのよ!」と”母”の大声が聞こえて目を覚ましたのです。三毛ニャンコ・ミケちゃんも「ニャン」語を話しながらぼくの頬を舐めて人工呼吸していました。 いや、どうも。チベットではたくさんの人が殺されています。ぼくにはなにも、できない。 目覚めたぼくは十年くらい前、子どものとき(今でもこども)買った『チベットの死者の書』原典訳の文庫版を探しました。みつかりません。こういうときは、その筋のプロ関係者である母ひろよ様に「探してくれ探してくれ」と駄々をこねると大抵、出てきます。ふしぎですね、どことチャネリングすれば出てくるのか、ほこりだらけのその本は”母”の手に乗って出てきました。

その本には人の生と死がどんなふうに繰りかえされるかが書いてあります。初七日も四十九日もその本に書いてあります。ぼくたちの大切なセレモニーはチベット文化、ダライラマ思想の大きな影響を受けています。チベットはわたしたちの心のふるさとです。 心のふるさとの人たちがたくさん、いま・・・。ぼくにはなにもできない。 ================================== ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 チベットの現状をご理解して頂き、どうも有難うございました。ダライ・ラマ法王日本代表部事務所はチベット亡命政府の代表機関として維持しつつ、さらに幅広い広報活動を続けるため、日本の皆様に暖かいご支援をお願いしております。ご寄付される、以下の郵便振込み口座番号にご支援をどうぞ宜しくお願い致します。 口座名: チベットハウス 口座番号: 00100-1-89768 =============================== そうだ、なにかできるのだ。小さいことでもいいのだ。   (では、また)

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2008年3月17日 (月)

高橋尚子さんに祟りの罰・・本当かを占う

マラソン”高橋尚子「大惨敗」で囁かれた「これは掟破りの祟りだ」”と週刊新潮の見出しが電車の中吊り広告でふらふら揺れていました。そんなことないわよ、祟りじゃないわよ、と心のなかでつぶやきつつ、じつは週刊誌を買ってしまった。 高橋尚子ファンの一人としても不肖わたしが、祟りじゃないことを証明します・・と意気ごんだのですが・・これが、どうも複雑な結果になって、申し訳ありません。

週刊新潮の記事は、05年5月に小出監督の元を去ったことが祟りとなって、05年11月には東京マラソンで優勝できたものの、その後はおしなべて絶不調に陥ってしまった、と書いています。それを”祟り”と過大な表現で人目をひいて尚子ファンのわたしまで乗せるあたりはさすが週刊誌ですねえ。あ、感心している場合じゃありませんね。

彼女は1972年5月6日生まれですから、

本命星・一白水星  月命星・五黄土星  宿命宮・坎  空亡・辰巳

大らかです、かたちにはまらない伸びやかな性格です。人の心配をして、しすぎて自分のことのように泣いてしまう心やさしいQちゃん、純粋な可愛い人です。長い間、ご苦労さまです。走りきる勇気と元気を、ありがとうございます。 で、掟破りの祟り説に関しては・・・うーん、書いてしまいます。月命星五黄土星で女性の場合は、ズバリ言ってしまいます。

「自分が中心になって何かをやろうとすると実力を縮めてしまう」。 小出監督という大きな人が中心にいた高橋尚子さんは実力を発揮できた。彼女はたしかに中心ではなかった。加えて監督は新たな若手選手に手がかかる。だから、自分が中心になりたくて高橋尚子さんは独立チームを立ち上げた。

Qちゃん、ごめんなさい。それが失敗の原因だと神占九星気学では出ています。 もちろん、失敗も人生の一つ波です。成功も一つの波です。寄せては引く波の一つですから後悔は無用です。

でも成功を意図的に得たいときは月命星五黄土星の女の特質、「リーダーにならないほうが力を出せる」を、ぜったに忘れないでくださいね。この特質は世の女性で月命五黄土星の人すべてに言えます。天が与えた一つの法則です。

九星日盤でみますと尚子さんは今、迷走躁状態です。気が迷い、どうしていいかわからない。頑固で人の意見に素直になれない帝王の星、五黄の運勢がマイナスの方向に振れているのです。 尚子さんは今年、結婚すれば、それもリーダーシップの強い、頼れる男性と結婚すると、現況から脱して陽の当たる坂道を駆け上がることができます。

もう一つ、高橋尚子さんはご先祖の霊と共鳴しています。このご先祖は、何かを為さねばならないのに為さずじまいになってしまった方です。この世にやり残した思いの強い霊は自分の思いが優先してしまいます。高い霊格の神さまではなく人間に近いその方の思いとQちゃん尚子さんが共鳴しています。 だから、すごい力も出ます。しかし、 共鳴は、おなじ振動数のものが、ともに振動する現象ですね。いっしょになって成功に感動し、失敗にはいっしょになって途方に暮れます。コントロールが効かない。ですから、なおのこと常に冷静に客観的な判断を下せる、感情を抑制できるリーダーが必要なのです。そういう役割をになってくれるリーダーが彼女には必要なのです。   (では、また)

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2008年3月11日 (火)

花ことばは花の精霊からのメッセージ

春です、野の草花が萌えています、あ、タンポポです(写真)。咲いています、黄色いタンポポです、まごうことなき日本タンポポの群生です。大ぶりの西洋タンポポに気圧されて純粋日本タンポポはどんどん減って今では貴重種だそうですね。 でも、こうしてけなげにいっぱい咲いているとうれしいです、ありがたいです。

なんだか、ニッポンの小さな春、小さい幸せをいっぱい見せてもらったような気がして。 注・(西洋タンポポの花は花弁を下から支え包むグリーン色の”総包(そうほう)”の外側が反り返り反転しています。『野草の名前 春』(山と渓谷社・高橋勝雄)210ページ参照) 先日、ある高名な霊能者の方がじっとわたしをみてつぶやかれました。「タンポポ、白いタンポポがみえます、タンポポが好きですか」と。「わ~! 大好きです。びっくりです!」とわたしより先に叫び声をあげたのは横にいた大こども「X」でした。

タンポポ大好きなのはこのわたしなのに。 じつは、その数日前に「X」に庭掃除を手伝ってもらったら、小さい庭の玄関横でわたしが大切に育てていた白いタンポポの大きな苗をOhOh~邪魔邪魔~と引き抜いてしまったのです。高さ30㌢株全体の直径幅も30㌢とタンポポとはおもえないくらいに大きく育っていたのです。

嘆くわたしを可哀想におもった地所地主の石渡農園お花ママが、Xの目が届かない隅っこに残骸の根を移植してくださった。・・・ そんな経緯がありましたので「X」が驚いて叫んだのでしょう。それにしても霊能力ってすごいですね。そのときわたしはタンポポのことなどこれっぽっちもおもってもいなかったのですよ。しかし瞬間、わたしの七感もピンときました。あの大きな白い日本タンポポが目の前のすぐれた霊能者を媒介にわたしへメッセージを送ってくれたのです。「X」へは人が大切にしているものを大切にしてあげなさいというメッセージをとおもいたいわ、ね。

花には花ことばがあります。元々は欧米文化を基層として生まれたのですが、全世界に共通のことばに普及したのは花ことばが花の精霊がおくることばだからですね。精霊のことばは、人種国境を無視します、軽々と。花の香りのように。 一つの花にいくつもの花ことばがあることが多いようです。そのうちのどれが自分へのメッセージかどうかの判定法はそれほどむつかしくはありません。

花ことば一つ一つを耳で聞くように自分の内なる心に訊いてみてください。ああ、そうだわとしっくりくることばがあなたへのメッセージです。自信のないときは信頼する第三者にこれでいいわね、と尋ねてみる手もありますね。 ちなみにタンポポの花ことばも多いのですが・・神託、別れ、思わせぶり、あだっぽさ、時間のむだ・・。 わたしへのメッセージは「神託」です、ね。わたしのタンポポ好きを霊視された霊能者は「色にも注意してください。みえたのは白いタンポポ。その白は、高貴な色・・」。う、うう、うれしいですね。

わたしは占師です。高貴な神託をみなさまに、多くの方々の豊かな幸せのために使っていただけるのです。ありがとうございます。 と、なにやら手前みそというか我田引水の気味もなきにしもあらずかもしれませんが、そうです、春です、野に出て春のかおりのなかであなたへ届く花の精霊からのメッセージに耳をかたむけてください。 (では、また)

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2008年3月 7日 (金)

あなたの心が方向音痴になったときに

世界に禅を広めた哲学者鈴木大拙博士をして、目をみはらせた、小松市に在住し三十年ほど前に九十二歳で亡くなられた市井の人、妙好人・森ひなさんをご存じでしょうか。この森ひなさんを紹介する法話採録を不勉強なわたしhiroyoに浄土真宗寺院住職父84歳が近江の里から春風にのせておくってくれました。少し転載しますね。

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いやになるよな ざまたればばについてはなれぬ おやまさまござるああありがたい なむあみだぶつ

hiroyo注: 妙好人(市井人、庶民で悟りを開いたすごい人。 ざまたればば(できの悪いロクでなしの婆さん)。 おやまさま(大きな大きな存在、阿弥陀様)。

恥ずかしいという実感(思い)と、有難いという感情は、いわば矛盾する心の世界であります。それが一つになって吹き出すように言葉となったものです。森ヒナさんの新しい人間誕生の名のりでもあると思います。 ・・・・・(中略)・・・ 亡くなられる前の九十二歳、なんとみずみずしいいのちの輝きでしょう。

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・・・さらに延々とつづきますが、う~ん我が父ながらみずみずしい文章を書くわねえ、負けているわね、わたし、とおもいました。父の持病心臓へのわたしからの遠隔ヒーリングも効いているんだわきっと、とこれは牽強付会かもしれません、ね。それはさておきまして。 森ひなさんを紹介する父の文章を転載したのは、わたしの言葉でいいますと、”心が迷い子”になったとき、”心が方向音痴”になったときの対処法をいつも意識できる人はすごいな、ということです。

自称、ざまたればば、森ひなさんは信仰という魂の羅針盤を持っておられました。 阿弥陀さまとご縁が結ばれたおかげさまで、

何時命が果てようと、南無阿弥陀仏のお手の中

森ひなさんの言葉です。阿弥陀さまと自分は親子である。人間の親子には別れがあるが、阿弥陀さまとの親子は永遠である・・・ 疑いようのない存在を自己の命まるごとで深く信頼しきることができれば安心という目にも明るい心のドアが開き、明るい景色がみえてきます。 もし、あなたの心が迷い子、方向音痴になったら、あなたにとって疑いようのない大好き、好きで好き大好きな存在をおもいだしてください。

そして言葉として、それを声に出してください。人間でも神さまでも仏さまでも、花でも木でも、山でも海でも川でも、命をかけて愛しているものを声に出して言ってください。その瞬間に心の明るいドアはかならず開きます。 わたしの秘策を教えましょう、うふふ。「迷ったら”お母さん”といいなさい、”お母さん”というと困ったことがたちどころに消えるのよ」と家族には強制しています。お子さまをお持ちの方々におすすめです。小さいお子さんなら素直に実践してくれます。大きなお子さんの場合でもくり返しいいつづけますと、そのうち、本当に困ったとき、心が迷い子になったときには、人目につかないところで、こっそり、「お母さん」と言うようになります。

当家ニャンコ、ミケちゃんにも言いつづけたので最近はきょうだいケンカのあとや、厭なオスニャンコがうろついていたりすると”おかあぁしゃん”と鳴いて、相手を威嚇したり追っ払ったりしています。大こども「X」は・・・。いえ、ま、内緒。・・・あ、どうも、妙好人とはほど遠いわたしの説ですが・・・。試してみる価値はございます。もちろん阿弥陀さまとは較べようもない小さい存在ですが、自分が家族の心柱になっているという自覚が、母をつよい母に育てる効用も大いにあります、と煩悩多いわたしの説です。 だれだって迷います。煩悩多いのが人生です。 妙好人、森ひなさんが「煩悩ばっかりで」と鈴木大拙博士に言うと、「その煩悩を半分わたしに分けてくれんかな」と博士は頼んだそうです。ひな婆さん曰くは、「分けられん、煩悩あればこそ親鸞さんにも会えたんや」・・・。すごいですね、おもしろいですね。人生という道はときどき迷うからおもしろいんですね。 (では、また)

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2008年3月 1日 (土)

ロス検事局ジミー・佐古田氏の粘り気力

ロス検事局の元首席捜査官ジミー・佐古田氏(日系三世)は日本の最高裁で三浦和義容疑者が「殺人は無罪」の判決を下したことが信じられなかった。それ以来ずっと容疑者の動きに注意をはらっていた。昨2007年秋以降に三浦容疑者が日本テレビなどのテレビ局に「真犯人を捜しにロスに行こう!」という変なおもしろ企画をもちこみ断られた情報も伝わっていた。

「許せない」「悪人がおもしろおかしく生きていては社会が腐る」 これはジミー・佐古田氏の感情です。情念です。感情のうえに彼には20数年前当時三浦和義にまつわる殺人容疑事件を直接タッチした事実の列挙があります。三浦和義経営のフルハムロード役員だった白石千鶴子さんの白骨化遺体がロス郊外で発見され白石さんの銀行口座から三浦容疑者が現金を引き下ろしていたこともありました。

日本の警視庁捜査一課のベテラン刑事のなかにも、 「絶対、捕まえる。悪の報いは必ずきます」 と顔を真っ赤にし、涙をながして悔しがった人も多くおられました。”放火”有罪・服役、”妻一美殺人未遂”有罪・服役・・・しかし肝心要の”妻一美殺人”無罪という成り行きに無念のおもいを抱いた関係者は大勢いました。

一美さんへの保険金1億5千万円を手にし、日本へ意識混濁のまま戻された一美さんを病床にひとり置いたまま、愛人と乱交パーティーに出かける三浦容疑者という非人道的人格への怒り批判を嘲笑うかのような無罪判決だっただけに。それだけに今回の逮捕には”最後の機会”と願いを託す人が多いのも当然だとおもいます。もちろん三浦容疑者の生き方にエールを送る人たちもいます。善悪いずれにしても旗幟鮮明にライトを浴びればファンがついていしまいます。人間界の現実ですね。現実には”悪”もふくまれています。

生きることは”悪”との交接もさけられないのです。悪で貫こうとする人もいます。恐れをしらない人、悪業をかさねて成功の蜜を得ようとする人もいます。 でも、ゴータマ・ブッダ(お釈迦さま)の言霊にあります。

-- --愚かなる者は、悪いことを行っても、その報いが現れないあいだは、その悪事を甘い蜜のようにおもい味わいつづける。しかし、その罪の報いの現れたときは、苦しみ恐れる。--(法句経69)

悪事の報いは遅かれ早かれ必ずやってくる。その報いはその人の全身にまとわり絡み、その人の心の底まで恐怖と苦悩で覆い尽くす。 その恐怖は無限の恐怖です。絶対に穏やかな死などはあり得ませんね。しかもそれは、スピリチュアルな霊的な死後の世界にもつながる恐怖です。この世の罪はこの世で心底懺悔すれば許されることもありますが、この世で許されなかった罪は天界、霊の世界で罰しつづけられます。死刑の罪を犯した人は懺悔、血をはく懺悔を経なければ、あの世でも牢獄につながれ死刑になります。転生してもこの世でまた罪を犯し死刑の罪をうけ、またそして天界の牢獄でもまた死刑、、、無限恐怖が永遠に繰りかえされ、終わりなくつづきます。

もしも、あなたが日常的に恐怖と苦悩をくり返しているとしたら、あるいは真逆に罪科を平気に犯せるとしたら、それは過去世から受け継いだ原因の故にほかなりません。 でも、でも、ご安心ください。ふつうに暮らしている人には縁のない話です。仏典の真髄「般若心経」にこうあります。 --心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖(しんむけいげ、むけいげこ、むうくうふ)-- 心にこだわりなければ、無有恐怖、恐れることはなにもない。心にやましいことがなければ、無有恐怖、恐れることはなにもない。   (では、また)

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