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2008年10月

2008年10月28日 (火)

安心して産める社会に

東京都立墨東病院など8つの病院に受け入れを拒否され死亡した妊婦さん(36歳)。ご主人(36歳)の愛にあふれた言葉がこころに響きます。琴線をふるわせます。亡くなった妻の霊へむけて愛を叫んでおられます。全身全霊で、世界の中心で。

ご主人に看取られた奥さまの、あちらの世界への旅立ち、幸福という山々越えの、無事をお祈りします。あなたのご主人の言葉は社会を変えます。たくさんの人たちの魂を幸せの音色でふるわせます。あなたは幸福な女性です。

・・・幸福? 何が? 病院の不手際、医療体制の不備、、いわば殺された妊婦の不幸ではないか・・・多くの人がマスコミ報道が導くとおりに非難の拳をふりあげ、遺族は当然のように訴訟を起こしてくれると期待しました。しかし、

「訴訟を起こす気持はありません」
「誰も責める気はない」

「(当直医が)傷ついて辞めるようなことになったら意味がない。絶対辞めないでほしい」
「墨東病院の医師も看護師も本当に良くしてくれた。彼らが傷つかないようにしてほしい」

「のど元過ぎれば忘れるのではなく、具体的な目標を持って改善に向かってほしい。何かが変われば『これを変えたのはおまえのお母さんだよ』と子供に言ってあげたい」

・・・”医療不信””医師の責任”に対して業務上過失致死を問うなどという昨今の風潮のおきまりパターンはどこにもないご主人の発言です。もちろんおきまりパターンを完全に否定するわけではありません。それも意義のあることもあるでしょう。でも、霊的な、スピリチュアルな視線で申しますと、医師側への訴訟はたいていの場合は亡くなった霊をなおさら迷わせるばかりです。

脳死状態で3日間を過ごした妻が亡くなる日、保育器に入ったままの赤ちゃん(男の子)を連れてきて妻の腕に抱かせてくれた。親子3人水入らずの短い時を過ごした。。。たしかに意識は医学的にはなくても霊的には妻は夫の看取りに感謝し、生まれたばかりの赤ちゃんのぬくもりを感じておられます。あの世を認めない方の死は先の見えない視界のない暗い闇ですが、あの世、霊の存在に抵抗しない人の死は闇ではありません。それどころかじつは、

妻は死んではいない。母は死んではいない。

不死不変。永遠不死。サンスクリット語の「アミリタ」は永遠不死を意味し法華経では無量寿と訳されている。阿弥陀如来の真言は「オン・アミリタ テイゼイ・カラ・ウン」であるから阿弥陀とは不死不滅のことである。(「神道の現代的解義21」山蔭基央)。

この世での死亡宣告は霊的には肉体という物体を捨てただけにすぎない。”命”そのものは”命”としての活動をやめたわけではないのです。「千の風になって」この世の生者へ何らかのサインやあるいは守護の役割をになおうとされます。いわゆる死者は死者になることで犯罪者でないかぎりステージアップされます。その一段高見から観て命がけでこの世の命を絶つことになるかもしれない仕事(医療)師の医師を悪し様にののしる損害賠償訴訟などがどうみえるか・・賠償金目当てとしか写らないのです。

命がけで命のやりとりを医師、医療は行っています。患者を受け入れるかどうかは、命のやりとりを命がけで行える状態でないとできない。当然だとおもいます。加えて医療訴訟の時代です。受け入れ態勢がいまだしの状況では受け入れられない、万が一に責任追及されると医療活動ができなくなる。そうした負のスパイラルがなおさら医療サイドに二の足を踏ませることになっているのが現状です。医師、医療側、行政、患者・・・それぞれがバラバラで敵対していてはおそらく「何もかわらないではないか」という非難の応酬というむなしい未来になるとおもいます。

何かが変われば『これを変えたのはおまえのお母さんだよ』と子供に言ってあげたい。

いまいちど、
この愛にあふれた言葉の言霊(ことだま)に、こころを預けてみてください。この言葉を聴いておられる霊界の妻、母、命のふるえにもこころを寄せてください。何かを変えるという大きな力は霊と人の共生をエネルギー源としたとき動きだします。 では、また。

別の話追記:
二台のパソコンの動きが遅くて遅くて困っていたら、「パソコン家庭教師のみなみ」さんがチョナチョナあれやこれやホイホイとお話交わしながら治してくれました。新品を買ったのかと思うくらい速くなりました。感謝です。

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2008年10月20日 (月)

神事お勉強会「汎神論の誤解を正す」!

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河口湖レイクサイドにあって富士山頂が神々しく望める四方八方風光明媚なパワースポット御室浅間神社での神事修練会に参加してきました。「X」です、占師”母”ひろよが腰落ち着け書き出すのを待てず、乱筆の下手文ですが速筆自信たっぷり故の大こども「X」出しゃばり登場です。出しゃばってでも書きたくなるくらい、とっても楽しい勉強会でした。

神主さん、濱(はま)先生ありがとうございました。

ハマ、ハ・・、私立探偵マイク濱・・、横浜、みなとよこはまぁ、ヨウコ横はまぁ♪ と歌いたくなって、さらにマイクハマーへ伝言矢作俊彦、その大元ミッキー・スピレインまで甦るのは”母”ひろよの世代かもしれませんね。おっと、失礼、、。

濱陽一先生は探偵ではなく所属が富士北口本宮浅間神社のフリーランス神主さまですが、神主さまであられながらフリーランスというハードボイルタッチ、これはすごいです。「神秘の福袋」という福神を配布しながら神界霊界にぼくたちを導いてくださるハードボイルド探偵濱先生といえるのではないでしょうか。きっとそうです。うんそうです。

神主装束お姿の凛とした美しさand ご陽気気功指導のファイトマンお元気姿and 談笑くつろぎお姿ニコニコ器巨(うつわおお)きい様・・・河口湖畔秋空秋風そよぐ一日、三変化のお姿も素敵でした、と占師”母”ひろよも申しておりました。映画ドラマ私立探偵マイク濱の産土は横浜黄金町、横浜日劇あたりのようですが、神主濱先生はやはり雄大無比の純然ニッポン古来伝承風景富士吉田市かいわいが良くお似合いです。

ちなみに濱先生の産土神さまはもちろん北口本宮浅間神社でございます。

話がどんどん逸れてゆくのは”母”の遺伝子というか、”母”の井戸端会議を聞きつつ育ったせいだとおもいます。で、話しを元へ、とこれも母ゆずりのフレーズですね(笑)。肝心なのは神事修練会で学んだことですね。

神事修練会参加で学んだことは、神事&気功鍛錬のあとの直会(神事のあとの食事とお酒)がとっても美味しかった・・・え、おい、美味しかった以外に頭の栄養になったことは・・・それはそれはありすぎて先天記憶障害のぼくにはおもいだせなくてすみません。

あ、今、濁り酒でお顔が上気の濱先生のお顔とお声が一部、甦りました。

「石にも木にも草にもありとあらゆるものに神さまが宿る、万物に神が宿るという汎神論と日本神道の八百万の神々とは違いますよ。古くからの神道では、石は石、木は木、草は草です。石は石、木は木、草は草であって、そうであるかぎり木や石や草は神さまではなく、石や木や草ですね。ただ、その石なら石に人間であるわたしが神さまを感じたらその石は神さまが宿ったことになります。なにも感じなければ小石は小石としての存在です。神道で言う神さまは、わたしが感じるという体感の経験がないと神さまはどこにも存在しないのです」

記憶障害のぼくですが、おおむね採録にjなっているはずです。

ね、すごいでしょう、濱先生はお酒を召しても形而上の抽象レベルのお話がこぼれでてくるのでございます。石は石、木は木、草は草、されど云々。形而上とは、形あるもの上、形(具体)の上ですから抽象的哲学的命題ですね。そこらへんの足元の小石をけっ飛ばしても小石が小石であるかぎり神罰はくだらない、棒きれでチャンバラごっこで木をたたいても木は木、棒は棒ですからへっちゃらです。神さまを感じなければ神さまを崇めなくても暮らしてゆける。おお、すごいです。神道の奥行きの深さですね。

こんな素敵なことを話しながら、こそこそと身を消すように自席から離れて皆の衆からポツンと数メートル孤絶した位置に座り直し、一人ゆるやかに呼気吸気、紫煙を遠慮しいしい換気口に」むけ、くゆらせたりもなさいます。

あ、母が帰ってまいりました。では、また。

追記:

神事修練会参加者のお一人は自分の髪の毛一本にずらりと数字が並んでいるのを観られたたヒーラー! また九州から飛行機で来られたお一人は、患者さん多数の一切の情報を記憶されているすごい鍼灸女医師さん! コップ濁り酒をクイッと一口で呑んでも顔にも出ないヒーラー修行中女性! さらに遊覧気球に乗っているはずの気球に乗れなくて見ていたらその気球が破裂落下・・・ン~、なんとも、恐れ入りますが、ホント、楽しい一日でございました。

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2008年10月18日 (土)

霊能ドラマ「七瀬ふたたび」(NHK)への感想

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霊視や透視、予言が出来る主人公の孤独を描いたNHKドラマ「七瀬ふたたび」(木曜午後8時)は、どう? と訊かれたのでお答えします。まず第一、これを霊視とか透視に本心興味あって見ると、見てもいいのですが、霊能力に誤解をもってしまう可能性が大きいとわたしはおもいます。もちろん霊能力なんてなんのこととおっしゃる霊能無関心の方々にはそういう世界があるらしいと思わせる力があるとおもいます。

ですから、どうぞご覧になってください。わたし自身は第1回の出だしを少し見ましたが、あらら、まぁ、とその後はまったく見てはいませんが。

ドラマはドラマとして面白ければ現実を離れてもいいのです。現実を離れれば離れるほど、その妄想を現実のように思わせる力業がシナリオライターや監督など製作サイドに要求されます。シナリオライターは自分の妄想を現実に暮らしている人々にいかにも身近で起こりうると感じさせて感動させたいと仕事に励みます。おもしろい仕事です。わたしhiroyoも我が青春時代、師・舟橋和郎先生に叱られつづきなのにドラマシナリオのおもしろさに魅せられ夢中になりました。

じつは、きょう朝、シナリオを勉強したいが入学日の吉凶を観てほしいと20代女性から鑑定依頼をちょうだいしました。口惜しいですがその日は良くないと出ましたが、わたしはそれを伝えつつ、「ぜひ、入学するべきです」と言い切りました。やりたいことが、本当にやりたいことがあるときは、結果を斟酌しないで、やってしまうことです。当面の結果の吉凶に目を奪われると長い人生全般の吉の目のスケールを小さくします。小さい人生もそれなりに幸せとおもえば幸せです。でも可能性の芽に水をやる生き方の方がもっと楽しくておもしろくて愉快です。転んでもいいから歩くことです、前へ。一歩、前へ。

そうすれば凶の目を吉に転じさせる力も育ってゆきます。

あ、脱線話ですね、お話を元へ戻します。「七瀬ふたたび」です。

テレビドラマはとても沢山の縁もゆかりもない方々を想定します。一部のマニアックな方々の要求に応えようとすると沢山の方々には心理的な溝、超えられない壁をこしらえてしまいがちです。沢山の方々を対象にしたときは細部では本当の現実を離れてしまいがちです。たとえばテレビ局を舞台にしたドラマはテレビ局の人はそのドラマを恥ずかしくて正視しません。警視庁もの、新聞記者もの、なんでもそうです。現実を描くノンフィクションではないからです。「七瀬ふたたび」も同様です、といえばおわかりいただけるとおもいます。霊視、透視のできる人は体がこそばゆくて観てはおれないのです。NHKもまたヘンなドラマをつくって---などと苦笑いしています。

それは、なぜか? なぜ、こそばゆいのか?

決定的なことは、ムリからぬことですが、言葉でセリフの多さで霊能の世界を伝えようとしているからです。繰りかえしますが、ムリからぬことです。でも見えざる世界、サムシングワールドの事々は心、魂、霊魂の波動でしか本質は伝わらないのです。でもこれをテレビドラマという枠のなかで伝えるのはムリでしょうし、そんなことは狙ってもいないのです。霊能力はいわばドラマの刺身のつま、わさび程度でしかないのです。でもそれでいいのかもしれません。霊能世界を知りたい人はしょせん個対個で学びはじめるしかないのです。

シナリオドラマの世界ではマニアック好みで個人的主観の度がつよかったわたしはとても苦労しました。でも優れた脚本家や映画監督に巡り会えて、つまり幸運という運に恵まれいくばくかのシナリオや脚本を書かせていただきました。楽しかったです。しかしやがて結果として沢山の人々への感動はそちら方面の才能豊かな人におまかせし、個対個、マンツーマンの現実的な感動を求めるジャンルへ走るようになりました。大勢の人のためにシナリオを妄想ふくらませたフィクションで書くのではなく、目の前の人ひとりのために実際のノンフィクションシナリオを描く。その人ひとりの心、魂、霊魂を揺り動かし、感動の人生へ一歩前へ、実際に、歩み出していただく。これまた楽しくてたまらない仕事です。

ま、こうして現在の専門職を生きがいとするに至りました。

なお「七瀬ふたたび」のシナリオを主に担当された伴一彦氏は、自民党を支持する人の気持がわからない、と番組を宣伝しつつ言い切られています。ですのでアホバカの自民党とおもう民主党など野党ファンの方々は見てもおもしろいかもしれません。お奨めします。こんな推奨の仕方ヘン? いえじつはシナリオライターの志向ってけっこう視聴者にとどきます。目には見えない魂魄のなせる業とでもいいますか。じゃ、オマエはアホバカの派かなどと詰め寄らないでください。世の中に不要なものは何ひとつないはずだと自戒しつつ日々暮らしていますので。  では、また。

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2008年10月13日 (月)

不愉快、三浦和義事件へのマスコミ報道

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狂言師・・{③たくらんで他人をだます人(広辞苑)}、狂言・・{人をだますために仕組んだたくらみ(明鏡国語辞典)―自殺}・・・前妻佐々木一美さん(当時28歳)への殺人共謀罪でロス市警に逮捕収監されていた三浦和義容疑者が死亡しました。この項文責「X」、只今母ひろよ留守につき無許可掲載です。ご容赦。

ある筋からの三浦和義死亡の経緯真相の霊界情報をお届けします。その前に、

不愉快です。三浦和義の死亡も不愉快ですが、さりながら新聞テレビ各局の「元社長」「元社長」と「社長」連呼の報道の不愉快さはこれ極まりですね。三浦支援者や三浦と親しい編集者や関係者と称する人たちにスポットライトを当ててのハシャギぶりはなんなのですか。新聞の現役論説委員までが大切な日本人を死なせたとばかりにロス市警を非難しています。

ソウルスピリット、霊界の方々も不愉快がっておられます。

三浦が絶対無罪と信じる根拠はあるのですか。日本の最高裁が殺人罪には無罪と判定したからですか。ほー、これはまたお利口さんぶりっこですね。社会モラルの裏をかくことで華やかな生活を夢見た犯罪人生三浦を社会モラルの権化サミットの最高裁が許したからそれを免罪符に掲げるとは賢すぎます、笑止千万です。裁判にも大ミスがつきものなのは「冤罪(えんざい)事件」の数々が示しています。三浦無罪は日本の司法当局のミスの可能性も大いにあり得るのです。

なのに犯人(一美さんへの殺人教唆有罪、放火有罪、窃盗有罪)三浦を支援してお金を儲ける。騒ぎの中心部に近づけば近づくほどお金儲けができるのは現世の道理です。お金儲けがわるいのではない。稼いでください。しかし、その手段の正当性への反省のなさにに恥を知れと言いたいのです。とことん三浦無罪を支援なさるのなら来世、地獄おくられも覚悟のうえなのか。どうか。

もちろん騒げば儲かるマスコミの本質はマスコミ内深部関係者の「X」も先刻承知ですが、でも表層マスコミ現役人は度がすぎますよ、これは。付和雷同でロス市警の失態などと問題の本質をすり替えています。ロス市警がわるいのではなく死亡した三浦がわるいのです。ふつうは死者には鞭打たない。ぼくも一貫して死者にはすべてを許すことにしてきました。これは日本の風土風習信仰が根っ子になっているからだと思います。しかしマスコミの騒ぎよう、はたまた日本の領事館員までも三浦側の味方についてコメントしている日本のたった今の空気には過酸素充満呼吸のような深い深い不快感をもようします。

では霊界情報をお伝えします。

一美さんの母、佐々木康子さん(75)は控えめに・・以前、ハンストをしたように、狂言として自殺をはかり、誤って死んでしまったのか、、・・とコメントされていますが、じつはこれが正解に一番近いようです。ある筋の霊界からの情報によりますと、三浦和義容疑者は逮捕収監ドラマを一気に盛り上げ最高のライトを浴びたいがために狂言自殺をはかった。

狂言自殺はふつうは死なない。ではなぜ死亡したのか。母、佐々木康子さんがおっしゃるように誤って死んだ・・のではありません。ここから先は怖い話が苦手の方は読まないでください。恐怖で眠れなくなってもぼくは責任もちませんので。

じつは狂言自殺が成功と三浦が思ったその刹那にある霊魂が三浦を処刑したのです。霊魂が殺したのです。三浦の絶対有罪を信じ抜いてなくなられた霊魂です。複数おられましたので処刑は完璧に行われました。霊の怨念罰が下ったのです。これで三浦和義容疑者の死魂は永遠に真っ暗闇のなかに封じ込められました。もう二度と輪廻転生することもない。暗闇で本当に怖い目に遭わされたあとに完全消滅させるそうです。

母、康子さん、ごきょうだいKさん、お子さんのAさん・・・一美さんにそのむねお伝えし、三浦への怒りゆえの病で先逝かれた父良次さんの霊魂に深く深く感謝をささげてあげてください。おっつけぼくも御霊前へ御参りいたします。

されど復讐するは我(神)にありという言葉もありますね。新約聖書ローマ人への手紙・第12章第19節「愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒りに任せまつれ。録(しる)して『主いい給う。復讐するは我にあり、我これを報いん』申命記32:35。ヘブル人への手紙0:30)。

悪に対して悪で報いてはならないという解釈は間違いです。悪を行なった者に対しては神の罰が下るという解釈が正しいのです。霊は神ではありませんが、神になりかわっての渾身の霊罰というものは滅多にないがあり得ます。 浄化祈念合掌。 

母帰宅後に削除されても請うお許し。

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2008年10月11日 (土)

アホは神の望み

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アホは神の望み、神はお利口よりアホを味方する・・そんなアホなことを阿呆なhiroyoに言われてもとおっしゃるhiroyoより賢い皆さま・・。このセリフの元は遺伝子情報研究で世界的に有名な村上和雄教授(筑波大学生物化学専攻名誉教授)なのです。

ですので少しは聞く耳を傾けてくださるとうれしいです。

言わずもがな、村上教授の遺伝子研究は世界一レベルです。世界的な食糧国家戦略として稲(お米、世界人工のの50%は米を食べる)の遺伝子暗号解読ではるか先行し世界一を独走していたアメリカの研究に対してアホにも”大和魂”燃やして追撃します。専門家筋からアメリカの国家戦略に逆らう愚かさを指摘されます。しかしなんと、逆転勝利でアメリカを追い抜いた。アメリカ人はお米を食べないのに日本の「古事記」まで勉強していたそうです。研究費を自民党議員に100億円を陳情し要求しポンと「40億円」も引き出したウソみたいな話もその筋では有名だそうです。

またヒト・レニン(高血圧を引き起こす原因となる酵素タンパク質)遺伝子解読に取り組んだもののフランス、パリのパスツール研究所とアメリカ、ハーバード大学の研究に先を越され誰がみても完敗の状態に追い込まれた。打ちのめされた村上教授はパリの街角のビアホールで飲んだくれていた。偶然いあわせた京大教授といっしょに「昼間からワイン片手に研究のパリの連中なんか・・」とビール片手におおいに盛り上がったら・・その京大教授の全面協力となり、やがてはなんとついに、世界初ヒト・レニンの全ての遺伝子情報解読に成功となった。9回裏ツーアウトからの大逆転ホームランです。

セレンディビティ(偶然の幸運)のほほ笑み

と村上教授はおっしゃっています。何かを探している時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力のことをセレンディビティと言いますね。賢いお利口さんは状況判断を冷静に理性的に行いもっとも効率的に直線的に目標に向かいます。でもアホは無駄、非理性、アホみたいと他の多くの人が批難しても、直線ではなく回り道うねうね道の非合理でも無意識にかまわず進みます。その一見非理性非合理なアホのような行為が、ある条件をみたせば神はアホの味方になってくださるのです。

その条件とは、陽気で明るいことです。真面目な悲観論者は外されます。

インテリの悲観論よりアホの楽観論・・と村上教授はおっしゃています。悲観的な論は理知的にみえるので注目を引きやすい。肯定より否定です。悪材料を必要以上に拡大解釈する。顕微鏡で見るべきものを拡大鏡で見て実体をオーバーに不安がり煽る。結果、悩みの種を自分で広げ大きくしてゆきます。ですので神は味方しない。

遺伝子工学的にも実証できるそうです。村上教授はお笑いの吉本興業と組んで糖尿病患者の研究もされていますが、漫才を聴かせて笑わせると血糖値の上昇はないそうです。これは笑い転げたりなどのアホのような精神作用が「生命力や免疫力」に関係ある遺伝子のスイッチをON、活性化したと考えられる。逆に言うと、マイナスの遺伝子情報のスイッチをOFFにしたと言える。2005年4月のJR福知山線事故で脳挫傷を負い意識不明、余命もって3ヶ月の女性を奇跡的に回復させた”陽気で明るい”母親もおられるとか。

事故にあっても「ありがとう」、病気になっても「ありがとう」、会社をクビになっても「ありがとう」、大好きな人に去られても「ありがとう」・・

・・そんなアホなぁ、、とおもいますか? 大抵の人は、そんなアホなぁと思うとおもいます。わたし自身も瀕死の事故や病魔にみまわれたこともありますが、その当時をふりかえると、ありがとうとはおもえなかった。でも、あ、そうです、病院のベッドでおもったのは、こんな若年性リュウマチで死すのはいやだ、どうせ死ぬなら病名がうつくしくて悲しみにみちた白血病がいいわよぅというアホなこと、、だった。あ、アホ、アホですね、これって。だから奇跡的に完治したのではないでしょうか。そして幾星霜、今はあなた様方に神さまの味方をいただくように計らわせていただくアホの道にひきずりこむ幸せなお仕事に努めさせていただいているのですね、きっと。そうよ、そうです。

でもでも思い上がりは禁物です。まだまだアホさ加減は未熟なわたしです。昨夜、家族が寝静まったお布団のなかで阿呆さについて反省していると暗い天空のかなたから不意に笑い声が降りてきました、ウワハハハ、こんな真夜中にアホぶりを真面目に、もう充分にアホだよ。あはは、つられてわたしも笑い、あげく寝ていた家族を起こしてしまいました。なりたいですね、アホな賢い人に。では、また。

あ、村上教授は「心と遺伝子研究会」への個人的な金銭的サポートをアホみたいに愚直に著書『アホは神の望み』(サンマーク出版)の巻末で公表されています。すごい先生ですね。霊的な問題への知性科学からのアプローチを切に祈ります、期待します。

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2008年10月 7日 (火)

俳優緒形拳さんの来世を占う 合掌

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 南無妙法蓮華経!名優緒形拳が10月5日23時53分に亡くなった! ・・・臨終に立ち会った親友の津川雅彦さんはブログでこう書いておられますね。「仕事、全部終わったのかい」と津川さんが訊くと「終わったよ」と大きな元気な声で応えてくれた。そしてやがて、虚空を睨みながら、静かに静かに、息を引き取られた。じつに安らかに、苦しむ様子もみせずに。感銘をこの世に置いてゆかれた役者さんです。

昭和12年(1937年)7月20日誕生日 71歳

本命星・九紫火星  月命星・九紫火星  宿命宮・坎  空亡・寅卯

九紫火星ダブル(本命・月命)は作家の塩野七生さんと同じです。生前から芸術文化分野で生きようと決めてこの世に転生されています。ダブル九紫と坎宿命宮の組み合わせは、意思が強くて勤勉、真っ直ぐ、素朴、まじめ。そのうえに寅卯空亡が加わり、仕事に恵まれる。目には見えない世界からの守護応援が入る。

ただし負の面がないわけではない。ダブル九紫火星は怒りっぽい性格です。でも外にはそれをみせない意思の力があります。しかしよけいに、自分でも不可解な怒りを内部に抱え込む。前世から抱えてきた怒りなのでご本人には怒りの原因はわかりづらいでしょう。拳をにぎりしめてじっと我慢する耐える力も強い。ぐっとこらえてしずかに笑うことができます。この前世からの怒りのカルマが理由の病なのですが、亡くなられた瞬間にご本人のカルマは昇華浄化されました。

思い起こせば、わたしhiroyoは拙い幼いシナリオ生として修行中に観た映画「鬼畜」(松本清張原作)「復讐するは我にあり」(佐木隆三原作)の緒形拳さんの印象がいまだに強烈にのこっています。子供を捨てる役、連続殺人犯の役、まさしく鬼畜生という役柄を演じながら、価値判断の物差しは「善悪」ではないのではないか・・・という永遠の命題を全身で表現していた、あの凄味にまいりました。圧倒されました。

九星日盤きょう(7日)八白土星中宮を鑑定しますと、この八白を跡目相続と読みます。家族間親戚筋でなんらかの相続問題が起きる可能性があると出ています。

日盤の神仏をあらわす北西には、やはりまた九紫火星が回座しています。つまり前世も役者だったようですね。それも神仏につながりの深い役者です。霊視ビジョンでは能面を左右に振り振り、床をドンドン、トンと踏みならす所作が視えました。これ以上のことは故人のプライバシーですので省きます。

では、名優緒形拳さんの「来世」はどうでしょうか?

うれしいです。日盤で九紫が回座している北西の真向かい(来世)の南東は七赤金星です。このときの南東はおなじことを繰りかえすという意味で、つまり役者さんです。あの世でもまたまた演技の道です。好きなんです、とことん好きなんです。でも役柄は変わりそうです。-”喜ぶ””楽しむ””にぎやか””笑う”-(七赤金星)というキーワードが並んでいます。次は、あの世ではコメディ系を真っ直ぐ素朴に演じると出ています。よかった。うれしいです。

観たいやつは早く来い、こっちへ・・・笑みをうかべた緒形拳さんのメッセージです。

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2008年10月 3日 (金)

神事のお勉強会初心の巻(富士御室浅間神社)

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10月19日(日曜日)、『顕現力』(たま出版)著者で神主・濱陽一さんが私的に”神事修練&気功会”を富士御室浅間神社で催されます。わたしhiroyoも神々さまを前にした神事を初心に立ち返り勉強させていただきます。勉強会といっても濱さんのことですから初心者にもやさしく面白く教えていただけるはずですね。こころ踊ります。

富士御室浅間神社は富士山周辺では一番古いお宮のようです。

河口湖畔の神社境内からのぞむ霊峰富士山のスピリチュアルパワーは清々しくもあり厳かでもあり柔らかくもあります。大好きです。

創建が文武三年(699年)、1400年も前です。当初は富士山登拝登山路吉田口の2合目に本宮があったが、7か村氏子の便から天徳二年(958年)に現在地の河ロ湖畔勝山に里宮が建立されたと由緒にあります。1000年の昔です。

スバルラインが五合目まで整備(昭和39年)され、五合目までの吉田口登山道は荒廃します。そのため昭和49年に山宮を里宮に移築し復元工事を行たっために、里宮と本宮が同じ場所にあるという珍しくも神々しさが倍、二倍のお宮でございます。

2年前の夏、登山路2合目にある廃屋のような旧本宮前で礼拝、祝詞を奏上させていただいたら、あららら、、やや傾いた建物全体が”ギシギシ♪ ギシギシ♪”と、ここちよい軋み音を発して歓迎のサインをおくってくれたのです。おかげで水泳は得意だけれど登山は全くの未経験なのに、0合目(馬返し)から頂上へと同行の無料登山ガイドがあきれるくらい元気に歩き通せました。ありがとうございました。

そして去年4月は現在地の河口湖畔御室浅間神社に参拝しましたが、元ミュージシャン若き神主さまの朗々と響き渡る祝詞にうっとりの時間をすごさせていただきました。19日(日曜日)はその若き神主のご尊父さま濱陽一さんの登場です。楽しみです。ご興味のある方は濱さん発行の無料メルマガ「神秘の福袋」82号末尾をごらんくださいませ。

神事ってなんでしょう?

「神事というのは、簡単に言ってしまえば、神がそこに居ますが如く振る舞う作法から始まります。・・・」(濱陽一さん上記著書156ページ)。まず形から入るのは日本文化のテンプレート、マニュアルですが、この形のもつ歴史の積み重ねという厳粛さには今でも緊張すると濱さんは述べられています。「まず形から入る。形をととのえてる事によって神と人の間(ま)が釣られていくのです」(同述)。釣られてゆくその先に何がまっているのでしょう。わくわくします。

富士御室浅間神社にまだ行かれていない方は、何かの折りには、1000年昔の神々さまの霊験をぜひぜひ体感なさってください。

追記
:以下はわたしの便利メモ・(季節で変わるのでご確認くださいね)

神社住所・・山梨県南都留郡富士河口湖町勝山3951
神社へのアクセス・・
☆新宿からJR大月経由河口湖駅(2時間半~3時間)、または新宿から高速バスで河口湖駅へ(2時間半ほど)。河口湖駅からは”レトロバス”乗車16分。
☆横浜からは直通の相鉄高速バスが便利(2時間半)。
☆JR東海道線なら国府津駅あるいは三島駅経由御殿場線御殿場駅下車、富士急バスで河口湖駅へ。

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