安心して産める社会に
東京都立墨東病院など8つの病院に受け入れを拒否され死亡した妊婦さん(36歳)。ご主人(36歳)の愛にあふれた言葉がこころに響きます。琴線をふるわせます。亡くなった妻の霊へむけて愛を叫んでおられます。全身全霊で、世界の中心で。
ご主人に看取られた奥さまの、あちらの世界への旅立ち、幸福という山々越えの、無事をお祈りします。あなたのご主人の言葉は社会を変えます。たくさんの人たちの魂を幸せの音色でふるわせます。あなたは幸福な女性です。
・・・幸福? 何が? 病院の不手際、医療体制の不備、、いわば殺された妊婦の不幸ではないか・・・多くの人がマスコミ報道が導くとおりに非難の拳をふりあげ、遺族は当然のように訴訟を起こしてくれると期待しました。しかし、
「訴訟を起こす気持はありません」
「誰も責める気はない」
「(当直医が)傷ついて辞めるようなことになったら意味がない。絶対辞めないでほしい」
「墨東病院の医師も看護師も本当に良くしてくれた。彼らが傷つかないようにしてほしい」
「のど元過ぎれば忘れるのではなく、具体的な目標を持って改善に向かってほしい。何かが変われば『これを変えたのはおまえのお母さんだよ』と子供に言ってあげたい」
・・・”医療不信””医師の責任”に対して業務上過失致死を問うなどという昨今の風潮のおきまりパターンはどこにもないご主人の発言です。もちろんおきまりパターンを完全に否定するわけではありません。それも意義のあることもあるでしょう。でも、霊的な、スピリチュアルな視線で申しますと、医師側への訴訟はたいていの場合は亡くなった霊をなおさら迷わせるばかりです。
脳死状態で3日間を過ごした妻が亡くなる日、保育器に入ったままの赤ちゃん(男の子)を連れてきて妻の腕に抱かせてくれた。親子3人水入らずの短い時を過ごした。。。たしかに意識は医学的にはなくても霊的には妻は夫の看取りに感謝し、生まれたばかりの赤ちゃんのぬくもりを感じておられます。あの世を認めない方の死は先の見えない視界のない暗い闇ですが、あの世、霊の存在に抵抗しない人の死は闇ではありません。それどころかじつは、
妻は死んではいない。母は死んではいない。
不死不変。永遠不死。サンスクリット語の「アミリタ」は永遠不死を意味し法華経では無量寿と訳されている。阿弥陀如来の真言は「オン・アミリタ テイゼイ・カラ・ウン」であるから阿弥陀とは不死不滅のことである。(「神道の現代的解義21」山蔭基央)。
この世での死亡宣告は霊的には肉体という物体を捨てただけにすぎない。”命”そのものは”命”としての活動をやめたわけではないのです。「千の風になって」この世の生者へ何らかのサインやあるいは守護の役割をになおうとされます。いわゆる死者は死者になることで犯罪者でないかぎりステージアップされます。その一段高見から観て命がけでこの世の命を絶つことになるかもしれない仕事(医療)師の医師を悪し様にののしる損害賠償訴訟などがどうみえるか・・賠償金目当てとしか写らないのです。
命がけで命のやりとりを医師、医療は行っています。患者を受け入れるかどうかは、命のやりとりを命がけで行える状態でないとできない。当然だとおもいます。加えて医療訴訟の時代です。受け入れ態勢がいまだしの状況では受け入れられない、万が一に責任追及されると医療活動ができなくなる。そうした負のスパイラルがなおさら医療サイドに二の足を踏ませることになっているのが現状です。医師、医療側、行政、患者・・・それぞれがバラバラで敵対していてはおそらく「何もかわらないではないか」という非難の応酬というむなしい未来になるとおもいます。
何かが変われば『これを変えたのはおまえのお母さんだよ』と子供に言ってあげたい。
いまいちど、
この愛にあふれた言葉の言霊(ことだま)に、こころを預けてみてください。この言葉を聴いておられる霊界の妻、母、命のふるえにもこころを寄せてください。何かを変えるという大きな力は霊と人の共生をエネルギー源としたとき動きだします。 では、また。
別の話追記:
二台のパソコンの動きが遅くて遅くて困っていたら、「パソコン家庭教師のみなみ」さんがチョナチョナあれやこれやホイホイとお話交わしながら治してくれました。新品を買ったのかと思うくらい速くなりました。感謝です。
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