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2014年1月

2014年1月29日 (水)

「道」・・・道はこれでいい? ②

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鎌倉佐助 寳生苑の夜明け。三日月と夜明けの明星・・(2014/1/29/6:04)。裸眼、目では三日月が丸い月の一部分であるのがよくわかりました。この写真の部分拡大は、

Cimg21462  うつくしい。

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「道」・・・歩いてきた道は・・の話しを続けます。

「ほととぎす あすは あの山越えてゆこう」

元氣がでますね、いい句です。どの道あの道などと詮索している暇があるのなら、明日はあの山を越えて行くのです。自由律俳人、山頭火の健脚が健在なころの歌です。福山雅治さんのテレビCMに使われて耳目を惹きつけます。ホトトギスの鳴き声が佐助のお山に響くのは春から初夏です。今、この寒中にその季節のやがて夏への高揚感のような高鳴りを感じます。そうだ、行こう行こう、あの山越えて。

ふと、ミスター「X」の仕事パソコンデスクを見ると、『道をひらく』(松下幸之助著・PHP)がなにげに乗っかっていました。「道」歩いてきた道は・・について書いていると、『道をひらく』の本が・・これをシンクロニシティ Synchronicity、「意味のある偶然の一致」と名づけたのはカール・グスタフ・ユング(スイスの精神科医心理学者)ですね。ユング氏の教えに素直に従いまして、その本を開きますと、やはり、いきなり

   自分には自分に与えられた道がある。

というフレーズが目に飛びこんできました。さすがに経営の”神様”松下幸之助さまですね。世の成功者は奇をてらわず正攻法(真っ直ぐに押す)で来られます。力の強さをあらためて感じますね。『道をひらく』10ページ掲載、「道」を以下に転載です。

・・「道」

 自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない、自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがいのないこの道。広いときもある。せまい時もある。のぼりもあればくだりもある。坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。

 この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。なぐさめを求めたくなる時もあろう。しかし、所詮はこの道しかないのではないか。

 あきらめろと言うのではない。いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道。ともかくもこの道を休まずに歩むことである。自分だけしか歩めない大事な道ではないか。自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。

 他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでもいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

 それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる。

・・

ありがとうございます。神様のお言葉です。付言の要なし。

なお、佐助稲荷神社の初午祭は2月4日正午~です。

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2014年1月27日 (月)

「道」・・・歩いてきた道はこれでいい?

「皇室日記」(日本テレビ系・日曜日午前6時30分~)の一月二十六日オンエアでは歌人でもあられる皇后陛下のお歌とエピソードが紹介されていました。「道」と題した皇后陛下のお歌。

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かの時に我がとらざりし

  分去れの片への道

     いづこに行きけり  (平成7年)

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分去れ(わかされ)・・道の分岐点、分かれ道。人生は選択の連続ですが、ひときわ大きな分岐点になったと思われる時の時というものが誰にもありますね。無我夢中で走っているときは考えもしないのに、ふと立ち止まって、こしかたをふり返ると、その時にわき上がる感情というものの正体は、それの大部が肯定の感情である人は、この先の未来にも、ほのぼの嬉しい出来事が待っている暗示といえます。皇后陛下の「道」はもちろん肯定ですね。あの時に天皇陛下(当時は皇太子)との結婚を選ばなかったら・・などという後悔の感情がおありではないか・・などという俗な人間的な共感は品性を足踏み下がらせます。(いえ、品性卑しくても、良いんですよ、生き方の問題ですから自由ですからね)。「いづこに行きけり」、つまり現実感のない、ようとしれない、片方の道よりもはるかに今のこの道をわたしは歩いて行く。皇后さま六十一歳のお歌でした。

それから十五年後の皇后陛下お歌。

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君とゆく 

 道の果たての遠し

     夕暮れてなほ 光あるらし  (平成22年)

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天皇陛下とゆく「道」は、どこまでもつづく。「君」に従いついて果てなく遠くまでもつづくこの道。夕暮れ時です。しかし、どうでしょう、この一層の光り輝きのうつくしさを、見ています。これは夕焼け空を歌ったというよりは、それもあるでしょうが、この世の明日の朝の光、なお一層の希望の光、この日本の日の出の予感、希望を、皇后陛下は抽象的に歌い上げられたとおもいます。「君」とゆくこの「道」にこそ光あるらし。ある「らし」・・らし・・古語、…らしい。きっと…しているだろう。…にちがいない。現在の事態について、根拠に基づいて推定する(学研全訳古語辞典)。つまり、この道の未来への確信的肯定というすなおなお気持ちを歌にされた。

わたしは誰ですか、私の歩く道はありますか・・・と問いながら、このブログを書き始めて早、八年半です。昨年はどうやら霊的な大きな「分去れ」でもありました。霊的繁忙のきわみでご迷惑をおかけした方々には感謝とお詫びと御礼を申し上げます。ありがとうございます。これからも「道」を、どこまでもつづく道を、光あるらし道を歩いて行きたい。

注釈:「分去れ」は、長野県北佐久郡軽井沢町大字追分(北佐久郡軽井沢町追分558)、中山道と北国街道の分岐点を表す地名でもあります。天皇陛下と皇后陛下のお出会いなった「軽井沢テニスコート」から西方向に七㌔ほどです。お二人がこの地を訪ねて散策されたかどうかは定かではありませんが、ご存知なのはもちろんでしょう。

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2014年1月11日 (土)

鎌倉半僧坊大権現さまの御霊力

建長寺の奥山に坐します鎌倉半僧坊大権現さまへお正月の言祝ぎ(ことほぎ)を申し上げてまいりました。

(以前のブログ記録)

祈願、祈祷の力とは・・・鎌倉半増坊さまご眷属のお招き

http://z-hiroyo.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-6db9.html

Cimg2138 敬神(半増坊)

敬神・・・通常では目に見えない存在への敬いなくしては人生(過去生・現在・未来生)への豊かな贈り物(奇跡)は得られない。当たり前の話じゃないか、、たしかに、、でも、この当たり前の話の中の尊い意味に深く祈れるか、頷けるか、どうか、。馬鹿野郎! 神も仏もあるものかあ! ま、そういう生き方もございます。悪を成就させるのが好きな存在もあることは有るのですが、総じて邪気に支配される刹那の快楽に堕ちます。快楽も必要です。否定はしません。でも一瞬の快楽よりも快楽の持続向上という幸福のロング、ロングを求める生き方もあるとおもいます。上っ面だけではない心棒の発する大きな霊力をいただいて生きる生き方です。

Cimg2132 鎌倉半僧坊由縁

・・・明治中期の建長寺住職は、ある夜お坊さんのような、また俗人とも見える白髪の老人と山中で出会い、その翁が「私を関東のいずれか清浄な処に招いてくださるなら、その処いよいよ栄え、ありがたいことが絶える事がない。」と告げ、フッと姿を消してしまった霊夢を見られました。http://www.kenchoji.com/hannsoubou.html

現在、建長寺から半増坊への参道には茶店はありませんが、往時は12店舗ほど軒を連ねていたそうです。建長寺の賑わいは半増坊のおかげとも言われていたのです。その大きな霊力は、今もたしかに、感じることは感謝の祈りの中で叶います。

家内安全   商運隆昌   開運守護   心願成就

火盗潜消   身宮安泰   厄災消除   当病平癒

交通安全   旅行安全   安産守護   工事安全

海上安全   大漁満足   学業成就   合格祈願

工場安全   心願満足   大漁祈願   無病息災

半僧坊大権現さまの御霊力、いわゆる御利益です。なんだ、よくある現世利益のおまじない信仰か・・・などと言ってしまっては・・・あ、そうおっしゃりたい方はおっしゃてもかまいませんよ。でも。。しかし。。現世利益を願うときには、人は明るくなります。肯定的、プラスの心理状態になります。そのプラス志向にこそ清き明るき神霊とのチャンネルが開いてゆく。ですからこそ、御利益を謳う神社仏閣に人々は押し寄せ、その総体である、まほろば、日本人と日本が好きな人々のの本質的なこだわりのなさという大いなる力の集積が生まれる。否定でも単なる現状肯定でもなく、現実向上主義とでも言いましょうか、より明るい方向への素直な単純な願いです。現世利益のシステムは日本を支える大きな力にもなってきたのですね。ご遠慮なく、現世利益を高らかに願って良いのです。

Cimg2133 御眷属

ただし、邪に、あるいは節操のなさ、無礼千万には、子天狗様の鉄棒(上記、二枚目の写真参考)によるお仕置きが下ることがあります。この鉄槌仕置の痛さ辛さに絶叫の人の解法にまる一晩かかったことがありました。

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2014年1月 1日 (水)

謹賀新年 幸せの階段

新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。わたしたちの目に見える存在と目には見えないとされる嫋(たお)やかな存在、まほろばの、すべての貴(たっとき)存在の切なる幸福を誠実に祈ります。

 

  平成26年 2014/01/01 邸内社・山乃神社(やまのかみしゃ)寳生苑  

                      ぜんとうひろよ

Cimg20771 2014/01/01 am 7:08 寳生苑初日の出

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うつくしい元旦の朝・・・・・・・・・・・・・・

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Cimg20911 幸福への階段 

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邸内社 山乃神社寳生苑内に舞い降りたキセキレイ(2014/01/01 am 7:53)。キセキレイは神々の霊のおことば、”奇跡は起きる”を伝える霊鳥、キセキレイです。

幸福への階段は”奇跡への階段”です。いいお正月です。


 


 

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