2010年10月19日 (火)

世襲への非難には反対です

Dscf16411_2

いっとき世襲への非難がかまびすしかった。いまでも世襲批判を繰り返す人もおられるようですが、とんでもありません。畏れおおくも皇室を仰いでもわかりますように、うつくしき世襲は日本という国の文化文明の底に立つ、うつくしい心のみ柱です。世襲は継承です。継承が切れ切れになると文化文明は基部から砂崩れを起こします。この国のかたちの存続、”おほおみたから”(国民)の健やかな繁栄を希求される方はぜひ世襲という苦労多い継承をご理解ください。お願いいたします。

継承する資産はない、物はない、子がいない・・と無関心にならないで。たとえ文字通り裸一貫であっても、引き継ぐ子どもがいなくても、あなたは遠い親、祖先のその先の先の神々さま仏さまの「霊」の分け御魂です。霊はかならず、どこかでだれかに引き継がれる霊となります。その霊(命の素)を悲しめたり怒らせると障りになります。

鎌倉kamakura佐助のHiroyoでございます。四日間留守不在でご迷惑お詫びいたします。その間は生家のお寺で行われた「住職継職奉告法要」・・院主(いんじゅ・住職)引き継ぎの儀式・・に参加していました。わたしの実父住職(八十六歳)から甥(故・兄の長男二十七歳)への引き継ぎです。世襲です。実兄長男が若く亡くなりましたので86歳と27歳という年齢の開きがたくさんの引き継となりました。よかったとつくづくおもいます。

かつて継承まぎわだった実兄が不意に亡くなって二十年たちます。父や兄嫁や甥の姉妹、その他たくさんの人たちが、この日の来るのを待ちに待っていたのです。十年前、ふいに旅に出て戻らなかった甥・・あの甥が・・。兄の霊が泣いてよろこんでいました。わたしも、もちろん、です。老爺になった父の声もかなしみを越えた嗚咽を含んでいました。

Dscf16431

奉告法要は読経に始まります。

①まず、旧院主(父86歳)が阿弥陀如来さまの前でお経を奉ります。
②次に、旧院主が阿弥陀如来さま、ご先祖の住職方、参列の方々に、新院主に引き継ぐ旨のご挨拶を申し述べます。「・・四十年間つめさせていただきました・・」。
③次に、新院主(甥27歳)が引き継ぎ宣言します。「・・がんばります・・」。
④次に、新院主(甥27歳)が阿弥陀如来さまの前でお経を奉ります。

⑤さらにこの継職法要に併せて五十年に一度の「蓮如上人遠忌法要」。村内を色あでやかな七条袈裟の僧侶や門徒役員一同や家族、稚児が練り歩きます。
⑥さらに翌日、年に一度の「親鸞上人報恩講」が行われました。

Dscf16261

Dscf16401

なんのために生まれてきたのか。答えは一つではありませんが、その一つはこの世の次の世代になにかを引き継ぎ渡すために生まれ生かされています。

| | トラックバック (0)

2008年11月 2日 (日)

医療現場、心の叫び・・・30代医師

8病院に受け入れを拒否され 亡くなった妊婦に関する拙稿(「安心して産める社会に」)に現役医師からコメントいただきました。ご本人のご了解を得ましたので、ここに転載採録させていただきます。医療現場の心の叫びに耳を傾けてください(ぜんとうひろよ) 。

・・・・

 久しぶりに記事を、涙を浮かべながら、読ませていただきました。30代の現役医師です。現場では確かに医師不足ですが、きつくともギリギリまで医師は現場で踏みとどまっています。否、踏みとどまる医師がいるからこそ受け入れる救急病院が存在しているとも言えます。現在診療報酬は病院に厳しめで、医院には甘めといえます。

 なぜならば医療費は高度医療を行えば行うほど増大するため、高度医療を行う場である病院に対する報酬を厳しくすることで全体の医療費を抑制する方向に動いているからです。高額医療を行った場合は健康保険から支払われず、病院の持ち出しで赤字となることさえあります。結果として病院を辞め、開業される先生が増大します。

 残った病院の勤務医は、それでも命のやり取りをギリギリまで行える病院で働きたいと踏みとどまり、その体力が尽きるまで働き、加齢とともにやがて燃え尽きるか、そうなるまでに自殺するような精神状態にまで追い込まれてしまいます。

 日本は、これまで世界に誇れる健康保険制度のおかげで貧富の差にかかわらず、一定の負担のみで高度医療をあまねく推進することができてきた素晴らしい国なんです。でもその健康保険制度による医療は高齢化の進む今の日本では、財政を悪化させる諸悪の根源なんだとされるようになってしまいました。

 ぎりぎりの状態の患者さんを救い出すのに、相当の医療資源を費やすわけですから救急医療は本来お金がかかるものなんです。ありったっけの資材をつぎ込むことで、助かる命だってあるんです! しかしそうした状況で医療を行うと訴訟されるリスクも増大し、今や医師のほとんどが委縮した医療しか展開できないような情けない状態です。

 患者さんが急病でリスクの高い状態に陥っても、受け入れることで訴訟されるくらいなら受け入れないほうがましだ、ということになってしまっています。真面目な医師ほどそのジレンマに悩み疲れています。このような辛い事件が起こるたびに、がんばるぞ!と思うのですが、悲しいかな、神ならぬ医師はいくら科学の最先端を用いて医療に当たろうとも、結果として命を救えないことだってあり、100年後にはそれは間違った医療であったと証明されることだってあるのです。

 ただし生きとし生けるものに対する愛は100年経っても変わりません。その愛を備えた意欲ある優秀な医師を追い込まないよう、微力ながら私も現場に踏みとどまって医療界でスクラムを組んでがんばってゆきたいと思います。

 過去に素晴らしい祖先を輩出してきた我が国日本ならば、高齢化が進もうとも暗い社会などではなく、明るい未来があるのだと、世界に証明してみせる気概が我々一人ひとりに求められているのだと思います。 合掌

・・・・

救急医療、救命医療に携わってこられたやまだ先生は自己熱情の高い青年医師です。きょうも現場で命の温度を燃やしつづけておられます。「来年4月からは末期がんの方のための免疫療法を少しかじりつつ、地域医療にも没頭していくつもりです!!」「医療を通じて雇用を創出し、他人に幸せを与えるべく、がんばっていきます!!!!」とメッセージ頂戴しました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年10月13日 (月)

不愉快、三浦和義事件へのマスコミ報道

Hanahanasuikaimg413x5711173718871ab

狂言師・・{③たくらんで他人をだます人(広辞苑)}、狂言・・{人をだますために仕組んだたくらみ(明鏡国語辞典)―自殺}・・・前妻佐々木一美さん(当時28歳)への殺人共謀罪でロス市警に逮捕収監されていた三浦和義容疑者が死亡しました。この項文責「X」、只今母ひろよ留守につき無許可掲載です。ご容赦。

ある筋からの三浦和義死亡の経緯真相の霊界情報をお届けします。その前に、

不愉快です。三浦和義の死亡も不愉快ですが、さりながら新聞テレビ各局の「元社長」「元社長」と「社長」連呼の報道の不愉快さはこれ極まりですね。三浦支援者や三浦と親しい編集者や関係者と称する人たちにスポットライトを当ててのハシャギぶりはなんなのですか。新聞の現役論説委員までが大切な日本人を死なせたとばかりにロス市警を非難しています。

ソウルスピリット、霊界の方々も不愉快がっておられます。

三浦が絶対無罪と信じる根拠はあるのですか。日本の最高裁が殺人罪には無罪と判定したからですか。ほー、これはまたお利口さんぶりっこですね。社会モラルの裏をかくことで華やかな生活を夢見た犯罪人生三浦を社会モラルの権化サミットの最高裁が許したからそれを免罪符に掲げるとは賢すぎます、笑止千万です。裁判にも大ミスがつきものなのは「冤罪(えんざい)事件」の数々が示しています。三浦無罪は日本の司法当局のミスの可能性も大いにあり得るのです。

なのに犯人(一美さんへの殺人教唆有罪、放火有罪、窃盗有罪)三浦を支援してお金を儲ける。騒ぎの中心部に近づけば近づくほどお金儲けができるのは現世の道理です。お金儲けがわるいのではない。稼いでください。しかし、その手段の正当性への反省のなさにに恥を知れと言いたいのです。とことん三浦無罪を支援なさるのなら来世、地獄おくられも覚悟のうえなのか。どうか。

もちろん騒げば儲かるマスコミの本質はマスコミ内深部関係者の「X」も先刻承知ですが、でも表層マスコミ現役人は度がすぎますよ、これは。付和雷同でロス市警の失態などと問題の本質をすり替えています。ロス市警がわるいのではなく死亡した三浦がわるいのです。ふつうは死者には鞭打たない。ぼくも一貫して死者にはすべてを許すことにしてきました。これは日本の風土風習信仰が根っ子になっているからだと思います。しかしマスコミの騒ぎよう、はたまた日本の領事館員までも三浦側の味方についてコメントしている日本のたった今の空気には過酸素充満呼吸のような深い深い不快感をもようします。

では霊界情報をお伝えします。

一美さんの母、佐々木康子さん(75)は控えめに・・以前、ハンストをしたように、狂言として自殺をはかり、誤って死んでしまったのか、、・・とコメントされていますが、じつはこれが正解に一番近いようです。ある筋の霊界からの情報によりますと、三浦和義容疑者は逮捕収監ドラマを一気に盛り上げ最高のライトを浴びたいがために狂言自殺をはかった。

狂言自殺はふつうは死なない。ではなぜ死亡したのか。母、佐々木康子さんがおっしゃるように誤って死んだ・・のではありません。ここから先は怖い話が苦手の方は読まないでください。恐怖で眠れなくなってもぼくは責任もちませんので。

じつは狂言自殺が成功と三浦が思ったその刹那にある霊魂が三浦を処刑したのです。霊魂が殺したのです。三浦の絶対有罪を信じ抜いてなくなられた霊魂です。複数おられましたので処刑は完璧に行われました。霊の怨念罰が下ったのです。これで三浦和義容疑者の死魂は永遠に真っ暗闇のなかに封じ込められました。もう二度と輪廻転生することもない。暗闇で本当に怖い目に遭わされたあとに完全消滅させるそうです。

母、康子さん、ごきょうだいKさん、お子さんのAさん・・・一美さんにそのむねお伝えし、三浦への怒りゆえの病で先逝かれた父良次さんの霊魂に深く深く感謝をささげてあげてください。おっつけぼくも御霊前へ御参りいたします。

されど復讐するは我(神)にありという言葉もありますね。新約聖書ローマ人への手紙・第12章第19節「愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒りに任せまつれ。録(しる)して『主いい給う。復讐するは我にあり、我これを報いん』申命記32:35。ヘブル人への手紙0:30)。

悪に対して悪で報いてはならないという解釈は間違いです。悪を行なった者に対しては神の罰が下るという解釈が正しいのです。霊は神ではありませんが、神になりかわっての渾身の霊罰というものは滅多にないがあり得ます。 浄化祈念合掌。 

母帰宅後に削除されても請うお許し。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2008年3月 1日 (土)

ロス検事局ジミー・佐古田氏の粘り気力

ロス検事局の元首席捜査官ジミー・佐古田氏(日系三世)は日本の最高裁で三浦和義容疑者が「殺人は無罪」の判決を下したことが信じられなかった。それ以来ずっと容疑者の動きに注意をはらっていた。昨2007年秋以降に三浦容疑者が日本テレビなどのテレビ局に「真犯人を捜しにロスに行こう!」という変なおもしろ企画をもちこみ断られた情報も伝わっていた。

「許せない」「悪人がおもしろおかしく生きていては社会が腐る」 これはジミー・佐古田氏の感情です。情念です。感情のうえに彼には20数年前当時三浦和義にまつわる殺人容疑事件を直接タッチした事実の列挙があります。三浦和義経営のフルハムロード役員だった白石千鶴子さんの白骨化遺体がロス郊外で発見され白石さんの銀行口座から三浦容疑者が現金を引き下ろしていたこともありました。

日本の警視庁捜査一課のベテラン刑事のなかにも、 「絶対、捕まえる。悪の報いは必ずきます」 と顔を真っ赤にし、涙をながして悔しがった人も多くおられました。”放火”有罪・服役、”妻一美殺人未遂”有罪・服役・・・しかし肝心要の”妻一美殺人”無罪という成り行きに無念のおもいを抱いた関係者は大勢いました。

一美さんへの保険金1億5千万円を手にし、日本へ意識混濁のまま戻された一美さんを病床にひとり置いたまま、愛人と乱交パーティーに出かける三浦容疑者という非人道的人格への怒り批判を嘲笑うかのような無罪判決だっただけに。それだけに今回の逮捕には”最後の機会”と願いを託す人が多いのも当然だとおもいます。もちろん三浦容疑者の生き方にエールを送る人たちもいます。善悪いずれにしても旗幟鮮明にライトを浴びればファンがついていしまいます。人間界の現実ですね。現実には”悪”もふくまれています。

生きることは”悪”との交接もさけられないのです。悪で貫こうとする人もいます。恐れをしらない人、悪業をかさねて成功の蜜を得ようとする人もいます。 でも、ゴータマ・ブッダ(お釈迦さま)の言霊にあります。

-- --愚かなる者は、悪いことを行っても、その報いが現れないあいだは、その悪事を甘い蜜のようにおもい味わいつづける。しかし、その罪の報いの現れたときは、苦しみ恐れる。--(法句経69)

悪事の報いは遅かれ早かれ必ずやってくる。その報いはその人の全身にまとわり絡み、その人の心の底まで恐怖と苦悩で覆い尽くす。 その恐怖は無限の恐怖です。絶対に穏やかな死などはあり得ませんね。しかもそれは、スピリチュアルな霊的な死後の世界にもつながる恐怖です。この世の罪はこの世で心底懺悔すれば許されることもありますが、この世で許されなかった罪は天界、霊の世界で罰しつづけられます。死刑の罪を犯した人は懺悔、血をはく懺悔を経なければ、あの世でも牢獄につながれ死刑になります。転生してもこの世でまた罪を犯し死刑の罪をうけ、またそして天界の牢獄でもまた死刑、、、無限恐怖が永遠に繰りかえされ、終わりなくつづきます。

もしも、あなたが日常的に恐怖と苦悩をくり返しているとしたら、あるいは真逆に罪科を平気に犯せるとしたら、それは過去世から受け継いだ原因の故にほかなりません。 でも、でも、ご安心ください。ふつうに暮らしている人には縁のない話です。仏典の真髄「般若心経」にこうあります。 --心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖(しんむけいげ、むけいげこ、むうくうふ)-- 心にこだわりなければ、無有恐怖、恐れることはなにもない。心にやましいことがなければ、無有恐怖、恐れることはなにもない。   (では、また)

10088576931

| | コメント (0) | トラックバック (0)